大晦日に参拝を。未熟な自分が一年をすこやかに過ごせた感謝を伝えたくて

大晦日に参拝を。未熟な自分が一年をすこやかに過ごせた感謝を伝えたくて

「楽しく、ほがらかに生きる」習慣をひとつずつ紹介していきます。今回は「一年を感謝で締めくくる」ことについて。

2021/12/31

こんにちは。「プレスラボ」という、東京にある編集プロダクションの経営をしながら、編集者としても活動している池田園子(Twitter:@sonokoikeda)です。
▼前回記事(24本目)はこちらから
「楽しく、ほがらかに生きる」という大テーマで、私が実践している「楽しく、ほがらかに生きる」習慣を一つひとつ紹介しています。
20個目の習慣は「一年を感謝で締めくくる」です。

不注意なあまり

2021年は皆さんにとってどんな年でしたか? 「いきなり占いの話?」と引かずに聞いてほしいのですが、六星占術でいうと水星人(+)の私は「大殺界」にあたる年でした。
よろしくない時期が3年にわたって続く、大殺界のラスト一年。それもあって「油断しないように」と気を張って過ごしていたつもりですが、うっかりしている私は、幾度も危ない目に遭ったと記憶しています。
ひと月の間にもラッキーデーと運勢的に悪い日があり、カレンダーに印をつけていたくらいですが、すぐに気が抜けてしまうのです。
例えば、自転車に乗っていて不注意でクルマの近くを走ってしまったり、歩いていて頭の中のモヤモヤに気を取られて前方から来る自転車に目が入っていなかったり。

問題が起きない現場はない

仕事における判断ミス、目配りミスもありました。「人が集まるところでは必ず問題が起きる」というのは、多くの人が感じていることではあると思いますが、私もそう考えています。
大なり小なり、程度の差はあれ、問題は起きます。一人ひとりまったく異なる人間が一緒になって何かをするわけですから。
むしろ「人が集まるところで、問題が一切起きることなく、物事がスムーズに遂行されていくこと」の方が「裏」があるし、そのうち何かが起きると考えています。これは経験則です。
でも、うまくいっていると、そんな悲観的な考えは薄まっていくのかもしれません。2021年の私はそうでした。思慮深さが足りないシーンがあり、小さな判断を誤ったことも。
大事には至っていないとはいえ、自分の未熟さや目配りの足りなさを感じ、2022年に向き合いたい課題として認識することになりました。

たくさん助けられてきた

いろいろな意味で「危なかったな……」と感じることは、一年を振り返るといくつもあります。情けないほどにあります。そして、私の決断によって、傷つけてしまった人もいます。
毎年、この一年の締めくくりに実感するのは、自らの至らなさ、幼稚さです。「いい大人なのにまだまだ」「かっこいい人への道のりは長い」と自覚するばかり。
もちろん、新たに挑戦したこと、やろうと決めて継続したことなどはあり、甘々かもしれませんが、自分を褒めていいかなと思うことは多少あります。
それでも総合的に考えると、「未熟な自分が一年をすこやかに過ごすことができた」という、目には見えないものや周囲への感謝に着地するのです。

感謝して一年を終える

私はときどき神社に行きます。原則、正午までと決めて、今住んでいるところの近くにある神社の近くを通りかかった際、参拝するのです。
そこで伝えるのは感謝。いつも見守っていただき、無事に、健康に過ごせていることに対し、お礼を伝えます。
自宅の神棚でも毎朝、1日見守っていただきたい旨を伝え、毎晩、おかげさまで1日安全に過ごせた旨を報告し、感謝します。
布団に入ると、自分と関わっている人たちの顔を思い浮かべ、今日もありがとうと心の中で言います。毎日ではありませんが、ご先祖さまにも見守っていただいていることを感謝します。
大晦日の今日は、年末年始を過ごす大阪で、午前中に参拝してきました。伝えたのはもちろん、一年というまとまった期間を無事に過ごせたことへのお礼です。
来年も1週間に一度のペースで更新していきますので、お付き合いいただけたらうれしいです。良い年をお迎えください。お読みいただき、ありがとうございました!

匿名で質問やリクエストを送る

※登録・ログインなしで利用できます

メールアドレスだけでかんたん登録

  • 新着記事を受け取り見逃さない
  • 記事内容をそのままメールで読める
  • メール登録すると会員向け記事の閲覧も可能
あなたも Medy でニュースレターを投稿してみませんか?あなたも Medy でニュースレターを投稿してみませんか?