日記のようなもの、のススメ。「昨日もよく生きた」と満たされる“書く習慣”

日記のようなもの、のススメ。「昨日もよく生きた」と満たされる“書く習慣”

「楽しく、ほがらかに生きる」習慣をひとつずつ紹介していきます。今回は「日々の記録を残す」ことについて。

2021/10/17

こんにちは。「プレスラボ」という、東京にある編集プロダクションの経営をしながら、編集者としても活動している池田園子(Twitter:@sonokoikeda)です。
▼前回記事(13本目)はこちらから
「楽しく、ほがらかに生きる」という大テーマで、私が実践している「楽しく、ほがらかに生きる」習慣を一つひとつ紹介しています。
9つめの習慣は「日々の記録を残す」です。

日記のようなものを再開

ふと思い立ち、日々の記録を文字で残す習慣を再開しました。周囲の編集者たちが発信しているWebの日記を見て「いいなあ」「おもしろいなあ」と感じたのがきっかけです。
日々の記録といえば、小学生にも満たない頃から書いていました。文章を書く練習になるから日記を書いてみたらと母から言われ、半ば勉強の一貫として書き始めたものでした。
日常生活をただ淡々と、悲しいことや苛立つことがあると荒々しく、ノートに記録していく習慣は、中学生くらいまでは続いたでしょうか。
記録の方法は年齢を重ねるにつれて形を変え、何かあったとき、ノートに感情だけを書きなぐったり、SNS(mixi)に詳細を綴ったり、スマホの日記アプリを使ったりと、時期によっていろいろでした。

書くのが楽しければ続く

現在はnoteを使っています。もともと発信の場として使っていること、ある程度フォロワーがついていることから、日記のようなものを発信する場としてnoteを選んだのは自然な流れでした。
(もちろん誰にも見せない、自分だけの記録でもいいのですが、公開する形式にする方が私自身は続けやすいため、あえてWebに残すやり方をとっています)
2020年5月に初めての緊急事態宣言が出たとき、noteで日記的なものを久々に再開してもいます。そのときは三日坊主的に、数週間で書くのをやめていましたが、今夏再開してからは続いています。
無理なく続く理由は、あたりまえかもしれませんが、書いていて楽しいから。大抵は翌日、前日の予定を振り返って書いています。
主な行動を書き出すなかで、その行動をしていたときに考えたことや感じたことの記憶も浮かんできます。それらは誰が読んでも問題ない塩梅で書くようにしています。
そうすると、昨日はこんなにいろいろな活動をしたんだなとか、こんなことを思ったんだなと、自分なりにいい1日を過ごせたなあと、充実感を得られるのです。

満足感と安心感が心身の健康につながる

日々のことを文字で残していなかったとき、毎日をていねいに振り返る機会はありませんでした。感情の揺れ具合や心に強く感じたことを思い起こすタイミングもなく、過ぎていく日々——。
終わったことをていねいに振り返り、味わう時間は、特別に確保しなくても生きていけます。でも、あえてそんなひとときを設けてみると、思いのほか満たされる感覚があるのです。
自分で自分に「昨日もよく生きた。いろいろなことを吸収して、いろいろなことを考えて、1ミリでも成長できた」と確認し、安心する意味もあるのかもしれません。
そのこと自体が心身の健康にもつながっているようです。日記のようなもので、日々を見直す習慣、おすすめです。
また来週お会いしましょう。お読みいただき、ありがとうございました!

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