「こういう人もいるよね」発想でストレスを吹き飛ばす

「人と楽しく、ほがらかに生きる」習慣をひとつずつ紹介していきます。今回は「こういう人もいるよね、と認識する」ことについて。

池田園子

2022/2/5

こんにちは。「プレスラボ」という、東京にある編集プロダクションの経営をしながら、編集者としても活動している池田園子(Twitter:@sonokoikeda)です。
▼前回記事(29本目)はこちらから
「楽しく、ほがらかに生きる」という大テーマで、私が実践している「人と接するときの習慣=人と楽しく、ほがらかに生きる習慣」習慣を一つひとつ紹介しています。
5個目の習慣は「こういう人もいるよね、と認識する」です。

「もう、なんなの?」とイライラ

先日、付き合いの長い、とある相手の物言いに対し、かちんとくる出来事がありました。
「どうしてそんな言い方ができるんだろう」「私が傷つくって想像をしてないだろうな」「感情的な言い方をしてほしくないな」
こんな思いが頭を駆け巡り、苛立ちや呆れの感情があふれてきて、思わずスマホを置きました。「はあ〜(盛大なため息)、もう、なんなの?」というひとりごと付きです。
イライラが落ち着いて、冷静さを取り戻してから返信し、その後やりとりをつづけるなかでも、不愉快な感覚は小さく残っていました。

「こういう人もいるよね」フィルターで見てみる

いつ何時も、相手とのやりとりでムカッとするわけではありません。ただ、相性は良くないので、2〜3ヶ月に一度くらいは“イライラ腺”が刺激され、今回のような状態になります。
いろいろな事情でかかわりを断つことはできないので、交流していく必要があります。そこで「こういう人もいるよね、と認識する」というプロセスが登場するのです。
先の言葉を「こういう人もいるよね」で処理してみます。
  • 「どうしてそんな言い方ができるんだろう」→「こういう言い方をする人もいるな」
  • 「私が傷つくって想像をしてないんだな」→「相手が傷つくのではないか? と想像する過程を飛ばして、生の言葉をそのままぶつけてくるんだな。まあ、そんな人もいるか」
  • 「感情的な言い方をしてほしくないな」→「感情をむき出しにする人もいるな」

みんな、自分とは全然違う人たち

本来「こういう人もいるよね」は当たり前のこと。育ってきた・生きてきた環境、日々接しているヒト・モノ・コト、ひとつとして同一の人はいません。
みんながみんな、自分とは全然違う人々。自分にとって他人はすべて「こういう人もいるよね」と感じる存在ともいえます。
ただ、居心地のいい相手は、わざわざ「こういう人もいるよね」と解釈せずとも、自然体で付き合っていけるもの。とはいえ、社会生活を送る以上、きもちいい相手だけとかかわるのは難しい。
私の例のように、数ヶ月に一度「うーん……」「ちょっといやなきもちになったな」となってしまうケースもあるでしょう。

学びや笑いに変えてみる

そんなときに「こういう人もいるよね」に立ち返ると、いやなきもちが減ります。感情が萎んでしまうようなやりとりも、「まあ、仕方ない」と処理できます。
同時に我が身を振り返り、自分の何気ないふるまいも他人を傷つけていて、「こういう人もいるよね」と片づけられているのだろう、というところまで想像できるようになります。
人間同士がわかり合う、というのは夢物語。「わかり合えない」を前提に、それでもできる限り気分よくコミュニケーションをはかっていくことが、ベターなやり方だと考えています。
「こういう人もいるよね」という見方を通じて、面白い発見をしたり、「この人の個性、強烈だなあ(笑)」とおかしくなったりすることもあります。
つらいことも、いやなことも、我慢しすぎるのは推奨できませんが、笑いに変えられる部分は変えていくといいと思います。
また来週お会いしましょう。お読みいただき、ありがとうございました!

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